エグゼの株価指数先物投資
(日経225先物投資)とは
一般に株価指数先物投資はハイリスク・ハイリターン投資で個人投資家は投資対象にすべきではないと言われています。私も当初は絶対にしてはいけない投資として株価指数先物投資をあげていました。
しかし、2022年8月に「逆転の発想に基づく株価指数先物投資手法」を発見し、2024年12月に完成したことにより、株価指数先物投資はローリスクでハイリターンな投資にすることができました。
元々、2015年から投資助言業として先物投資の助言を行っており、2024年に株価指数先物投資ソフトが完成し、2025年から株価指数先物取引のトラックレコード作りを始めています。
具体的に申し上げますと、
(1)投資をする前に買付から売却までのシミュレーションを行い、最適投資方法を探して、その投資方法通りに投資を行なう。
(2)リスク管理は1枚当たりの投資資金、VaR証拠金、そしていくらから買い始めていくらまで買い、いくらで売るという取引の追証発生額と想定利益まで計算する。
(3)1枚当たりの投資資金をいくらにするかによってリスク管理が変わります。
(4)株価の急落度合いによって変わるVaR証拠金をいくらにするかによってリスク管理が変わります。
(5)買付により発生する追証をすべての取引で計算します。
(6)売付についても、売付価格別の想定利益を計算します。
想定するすべてのリスクについて計算することでリスクをできる限り少なくする最適な投資事例を確定し、そのシナリオ通りに投資を行います。
この手法は、世界で誰も行なっていない取引手法で、特長は追証発生額管理にあり、追証発生額を低くし、利益を大きくするためには投資回数が重要になります。



投資のスタンス
投資回数とリスクの関係は、投資回数が増えればリスクが高くなり、投資回数が少なくなればリスクが低くなるという関係で、この投資回数を少なくするためのシミュレーションを下記の方法で検証しました。
期間は2000年から2018年で、検証内容は次の通りです。
(1)東証一部の全銘柄を毎日買う
(2)3か月間の株価の動きをチェックして、先に10%上昇すれば勝ち、先に10%下落すれば負け、どちらにも到達しなければ引き分け、という条件で計算します。
(3)実際には毎日棒グラフを5段階に分けて、以下の方法で表示します。
20%以上上昇すれば赤色
10~20%上昇すればピンク色
10%未満の上昇率から10%未満の下落率の間であれば黄色
10%~20%の下落率であれば水色
20%以上の下落率であれば青色
で表示して、年別の棒グラフを作成します。
(4)青色と水色と黄色が非常に少なく、殆どがピンク色と赤色となっている日が年間で1~3回くらい出てきます。
この日を私は転換日と言っており、この転換日だけ買えば、ほぼ負けない投資ができます。これをグラフで表示しますと下記のようになります。
エグゼの投資はこの転換日に限定して助言しますが、転換日が来なければ助言はゼロ、転換日が来た分だけの助言が行われます。
人工知能から人間知能へ昇華
2003年に名古屋大学の教授から「今の頭の中にあることをすべてソフト化しましょう」と言われたことが切っ掛けとなりAIの研究をスタートしました。私のAI研究は人間が持っている脳の柔軟性と脳が持っている機能の階層化を中心に行いましたが、結果的にこの研究は株式投資に向いている研究であり、投資家が欲しい情報をAIソフトが提供するという「優秀なアシスタント」のソフトとなりました。
投資に関するAIの欠点は、突然直近で起こることが反映できないことです。投資は想定されることと違うことが直近で起こった場合に、それを組み込んだ新しいシナリオをその場で作り直さなければなりませんし、株価材料の大きさも周りの環境によって変わりますが、これは人間ならば簡単に反映できますが、コンピュータでは瞬間の反応ができません。つまりこの点はAIが対応できないことであり、人間がAIに勝ることです。
つまり、AIは過去のデータから今後を想定することはできますが、直近で新たに起こったことによる修正は直ぐにはできません。しかし人間ならば1分後に起こること、1時間後に起こることも直ぐに修正できます。これが人間がコンピュータに勝ることであり、そのため勝つ確率を上げるためにはAIと人間の合作のほうが優れています。
つまり当初は、人間よりもAIに優位性があったのですが、その先に、AIよりも人間に優位性がある、ということを発見しました。ただし、この考え方は日経先物投資に限定したものというのが当社の考え方です。
会社概要
商 号 | KEN&BRAINS 株式会社 |
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所 在 地 | 東京都千代田区三番町6-4-1405 |
設 立 | 2014年6月23日 |
資 本 金 | 4億5000万円 |
事業 内容 | 投資助言業 |
代 表 者 | 森田 謙一 |
登録 番号 | 関東財務局長(金商)2820号 |
加入 協会 | 一般社団法人 日本投資顧問業協会 |



取締役・顧問
2000年 | ノーベル物理学賞の江崎玲於奈氏が取締役に就任 三菱総研 初代社長の牧野昇氏が取締役に就任 日本IBMの最高顧問 椎名武雄氏が取締役に就任 知的所有権の第一人者 高石義一弁護士が取締役に就任 |
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2003年 | 名古屋大学 大学院の武田邦彦教授が技術顧問に就任 |
2004年 | 日産自動車の塙義一元社長が取締役に就任 GMO取締役でインターネットマーケティングの第一人者の渡邉利弘氏が常勤取締役に就任 |
2005年 | 東京大学 大学院の教授で流体力学の世界的権威の桑原邦郎氏が研究顧問に就任 |

エピソード1
新しい会社の始動に合わせ、研究(江崎氏)と分析(牧野氏)と経営指導(椎名氏)と知的所有権(高石氏)の専門家を取締役として招聘し、8年に亘り指導を受ける。あまりに大物であったことから、当時日経新聞社より「取締役ではなく顧問ではないのか」という問い合わせがありました。

エピソード2
研究分野の専門的知識を得る為に、理工系の大学教授を探し、結果的に東京大学大学院の桑原教授と名古屋大学大学院の材料工学の武田教授の招聘に成功する。彼らとは研究は勿論、3年に亘り毎月1回15名前後の理工系の教授や経営者を招待したホームパーティーでシャンソンやカンツォーネの歌手の歌を聴きながら食事をした思い出があります。


テレビ・出版
1991年 | NHKスペシャル出演 |
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1992年 | 全国の商工会議所で1年間、経済講演会の講師を務める 証券新報の「広角投資のすすめ」5年間、新聞の最終面で連載 |
1999年 | 日経CNBCに出演 ダイヤモンド・Zai創刊に向けて6か月間相談に乗り、2000年3月創刊からケンミレチャートを提供し、サルチャー教室(株価チャートの読み方)のコーナーを担当する |
2000年 | BSジャパン「ルック@マーケット」日経新聞社主催のテレビ番組に週1回継続的に出演 |
2001年 | 東証アローズの年始講演会(第1回マネックス松本大社長)筑波大学の副学長推薦により第2回を森田謙一が公演東証アローズの年始講演会(第1回マネックス松本大社長)筑波大学の副学長推薦により第2回を森田謙一が公演 |
2004年 | ダイヤモンド社からサルチャー教室のムック本3万部を発行し2か月で完売 |
2008年 | 講談社から「起業家タマゴの経営イロハ」を出版 |






エピソード1
突然、ダイヤモンド社から電話が入って、今度ダイヤモンド・Zaiという投資初心者向けの雑誌を創刊するのですが色々協力して欲しいと言われる。また、高機能チャートが一番機能が多かったことから紙面で使いたいと言われて協力し、サルでもわかるチャート教室(サルチャー教室)のコーナーを担当することになりました。
エピソード2
2007年年末に「東洋経済が森田について書いて欲しい」と武田教授から言われたが、そのレベルではないとお断わりしたら、2008年初めに講談社からまた「森田について書いて欲しい」と言われ、同じようにお断わりしましたが、話のついでに「倒産するベンチャー企業が多いのでベンチャー企業の参考になるような経営本を書いてみたい」と言うと講談社から書いて下さいと言われて「起業家タマゴの経営イロハ」を出版する。
信頼の証し
1985年 | 前身会社で投資顧問の登録を行う 同時に、信頼の証しである認可制の一任ライセンスの取得にトライ |
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1987年 | 認可のためのアクションを3年続けたら、もう分かったと言われたが、認可をくれないので、関財詣でを続けた |
1989年 | 関財から独立系で初めて一任ライセンスの指導会社に選定されるが、その後、事情により指導会社を辞退する |
2015年 | KEN&BRAINSで投資助言業の登録を行う |
2016年 | 再度一任ライセンス(投資運用業と第二種金融商品取引業の2つに名称が変わる)の取得にトライ |
2017年 | 一任ライセンス(投資運用業と第二種金融商品取引業)の認可を取得する |
エピソード1
信頼の証しである認可制の一任ライセンスの取得にトライPART1
投資顧問には登録業者と一任業者がありました。
登録業業者はほぼ誰でも関東財務局に登録申請されれば受付されて営業を開始できますが、一任業者は関東財務局が「この会社は一任ライセンスを与えても良い」と判断して認可されて、初めて一任ライセンスがもらえます。
当時、関東財務局は独立系の登録業者には一任ライセンスは与えないという内規があるので、森田さんが一任ライセンスを申請しても認可されません、と言われました。私はそこから3年間毎月1cmの厚さのB4判のレポートを作成して関財に提出し、同時に毎月2時間関財に行って一任ライセンスを取るためのアピールを行なっていました。当時、関財は監督官庁であり、独立系投資顧問は誰も行きたがらない場所であり、そこに毎月行って2時間も話すというのは異常な行動でした。
そして3年が経過した時に、関財から「もう分かりましたから来なくて結構です」と言われました。一任ライセンスをくれないということは分かっていないことなので、私は分かるまでは関財に来続けますと言いました。
そして更に2年が経過した時に、関財から「今度1社に一任ライセンスを与えることになり、森田さんがその指導会社になる」と言われました。つまり、ここに来て漸く一任ライセンスの指導会社になりました。その後、友人の日経新聞のNY総局長勝又氏と同じく友人のバンカーズトラストのヨーロッパ担当役員ダンカン・フォーダイス氏の二人から、Nドイツ銀行の子会社の一任投資顧問が頑張っても年金資金の契約が取れないので、独立系の森田さんの会社が一任ライセンスを取っても何も成果は出ず、逆にコストが大幅にアップするので、止めたほうが良いと言われて、最終的に一任ライセンスの指導会社を辞退しました。
エピソード2
信頼の証しである認可制の一任ライセンスの取得にトライPART2
会社の規模が大きくなり、また投資商品が増えたことから、年金資金ではなく通常の投資資金を対象とした一任ライセンス(投資運用業と第二種金融商品取引業)の取得にトライしました。今回は会社の規模が大きくなったことも含めて条件が揃っていたので普通に一任ライセンスの申請を行いました。結果的に2017年3月に認可を受けました。
これは、金融商品取引業者としてクレームがあれば通りません。事実、私の会社は1985年から関財へのクレームは一切ありませんが、この一任ライセンス(投資運用業と第二種金融商品取引業)の認可を受けたことで、社会的に信頼できる会社という証明をもらったと同じ意味になります。その後、経営戦略の変更により一旦停止し、あらためてファンド事業を行う時に再開を予定しています。
ソフト開発
1995年 | 投資運用ソフトの開発「C言語とJAVA」でソフト開発に成功 |
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1997年 | 株式投資のインターネットサイト「ミレニアム株式情報サイト」オープン 日本で初めてJAVAによる動くチャートソフトをリリース 東証大証の全上場銘柄の4本値と出来高のチャートを無料で提供 |
1998年 | 有料ソフトサービス開始(最適指標銘柄探し、類似銘柄探し) |
2003年 | 森田の頭の中をソフト化してはという芝浦工大の武田教授のアドバイスによりAI研究を開始 |
2006年 | 勉強しなくても勝てるソフトの開発に着手 |
2009年 | 森田式AI・勉強しなくても勝てるソフト(ドナアブディアス)の完成・提供開始・当たり過ぎるので風説の流布の懸念から提供中止 |
2015年 | ドナアブディアスを進化させ、KEN&BRAINSで投資助言業の登録をする |
2024年 | ナアブディアスの進化版をさらに進化させた日経先物取引ソフトの開発に成功 現在、本格的な営業開始に備え、第二創業期のスタートアップを迎えている |
エピソード1
AI研究
2003年に芝浦工業大学の武田教授より、森田さんの頭の中をソフト化したらどうかと言われてAI研究を開始しました。
私の頭の中を開発することから、基本原則を脳の階層化におき、階層別のプログラムを作り、階層をつなぐプログラムを作ることで結論を出すという脳と同じシステムにしたのですが、その考え方が森田の頭だったので森田式AIという結果になりました。
エピソード2
勉強しなくても投資で勝てるソフトの開発
それまで私は勉強すれば誰でも株式投資で勝てると言い、会員に対しては投資の勉強をすれば勝てると申し上げ、入会者は勉強することが前提で入会したのに、実際に勉強できた人は入会者の10%程度でした。
会員の10%しか勉強しないのに、勉強すれば勝てるという言い方をするのは違っていると考え、勉強しなくても勝てるソフトの開発を2006年から始めました。
2006年2007年は勉強しなくても勝てるソフトなんて出来ないという思いの繰り返しでしたが、2008年になってコンピュータ将棋の天才が入社し、私の投資理論をコンピュータ将棋の発想に変換して、何百万通りのシミュレーションを行った結果、勝率80%のソフトが完成しました。リリースは2009年秋で、名称をドナアブディアス(ラテン語で神様からの贈り物)と名付けて提供を開始しました。
実際に会員に提供を開始して2回連続で的中しましたが、これが風説の流布に当たり、証券監視委員会に問題視されると指摘されて提供を中止しました。


カーレース
1997年に富士スピードウェイでフレッシュマンシルビアのカーレースを始めて、5年間はレース活動を行う。本格的に始めたのは2002年からのダートレースで、KMRTレーシングチームとして200坪の工場、社員用に15台の競技車輛、全日本選手権用に4台の本格的レーシングカーを製作、社員に対してはバスでダートコースに行き、みんなでダートコースを走ったり、みんなで食事を作って食べたりということを数か月に1度のペースで行っていました。
全日本選手権は4台の競技車輛で北海道から九州かで遠征して、最終的に1人のシリーズチャンピオン、1人のシリーズ3位を輩出しました。
また、丸和オートランド那須の全日本選手権では冠スポンサーを務めました。
現在は、ジムカーナのチームを作る前提で動いており、また、全日本の2025年のロードスターのシリーズチャンピオン(予定)選手のスポンサーを始めました。


中央競馬の法人馬主
2013年から中央競馬の法人馬主になる。最大で60頭保有したこともありますが、平均的には毎年25頭前後の競走馬を走らせていました。通常、競走馬は調教師に馬を探してもらって走ることが多いのですが、私はある人に英才教育を受けたので、そのヒトに言わせると調教師よりもあなたのほうが詳しくなったので、あなたの判断で馬を買ったほうが良いと言われました。ほとんどの馬主は1勝もできずに終わってしまうのですが、私は優勝は30勝以上、重賞レースで優勝したり、特別レースで何度も優勝できました。
思い出に残る馬は、重賞を勝ったクリスマス、重賞を勝てるはずだったキルロード、そして、種牡馬として一世を風靡したドゥラメンテに新馬戦で勝ったラブユアマンがいます。ラブユアマンはすぐ屈腱炎になって引退、それ以外にも屈腱炎で引退した馬がいましたが、屈腱炎はパワーがある馬がなりやすいので、とてももったいなかったと思っています。




クルーザー
ある時、私の誕生日パーティーを78フィートのクルーザーを借りて社員がしてくれたことがあり、なかなか良かったのでクルーザーを買いました。50フィート以上のクルーザーは、当時20艇ほどしかないと言われておりました。1級船舶免許を私以下5人で取りましたが、この免許を取る時の試験艇が小さなモーターボートでしたので、実際に買った船に乗った時には船が大きすぎて操船に戸惑いえっと思いました。
私は泳げないこと、そして乗船時に間違って落ちる事故があると聞いていたので船に乗る時は常にびくびくしていましたが、社員たちは、横浜の花火大会や海上レストランに行くなど楽しんでいました。

